帰省4日・5日目
- 2018.07.17 Tuesday
- 08:35
西町で降ろしてもらった私は、大和の横を通り過ぎて総曲輪通の西のはずれにあったはずのみやこ楽器店へ向かいました。
ところがその楽器店はなく、なにやら新しいテナントが入っています。
そう言えば、数年前にから既に無くなっていたような気も…
それなら西町交差点にあるはずの河合楽器店に向かいました。
ところがここも以前の店の装いとは随分違う印象。
中に入ると、無人の玄関に数台のアップライトピアノが並べてあるだけで、その奥はすべて音楽教室に変わっていました。
楽器店を散策するのが大好きな私はガッカリ。
近くのドトールコーヒーでアイスコーヒーを飲んで水分補給をして、45年ぶり位に市電に乗りました。
乗降の方法が分からなかったので、前の人に続いて中扉から乗車。
他のお客さんの様子を見ていると料金は降りる際に料金箱に入れています。
私の目的地は駅の中まで乗り入れている富山駅。
ところが乗った市電は「環状線」。
ということは富山駅の中には入らずに駅前をまた南に下っていくのかと思ってドキドキ。
他のお客さん達も、地鉄前という駅でドンドン降りてしまいます。
私もその列について、出口で運転手さんに「富山駅の中には行かないのですか」と尋ねると、「次の駅で降りてください」との返事。
その後、市電はゆっくりと私の目的地である富山駅の構内に入って行きました。
富山駅では駅に隣接しているエスカというデパートの中を巡りました。
ここが平日にも関わらず予想外の多くの人出。
私の自宅からほど近い百貨店よりも混み合っている位。
新幹線効果が現れているのか、中国人とおぼしき人も沢山いました。
百貨店を出ると、どこからかトランペットの音。
行ってみるとジャズバンドが生演奏をしていました。
炎天下の中での生演奏は大変ですね。
しばし観覧してから、次は駅裏のライトレール乗り場に向かいました。
ライトレールに乗るのは初めてです。
すっかり全国的にも地方活性化のモデルとして有名になったライトレールだけど、姉曰く全然活性化の為に役には立っていないそう。
確かに、ライトレールの運行経路は、富山駅から岩瀬浜までの過疎地。
蓮町から岩瀬浜まではスーパーもコンビニも一軒もないという廃れ具合です。
それでもライトレールの乗客はそこそこ。
私は2両ある内の後ろの車両の扉から乗りました。
ところが降り方についての説明がどこにも書いてありません。
後ろの車両に乗ったので、他の人がどうやってお金を払って降りているのかも分かりません。
それで、私の前の座席に座っている女子高生に「どうやってお金を払って降りるんですか」と尋ねました。
へんなおっさんと思われるかもとちょっと心配だったけど、将来絶対美人になりそうな女子高生は丁寧に降り方を説明してくれました。
降りる時は、電子カードを持っている人はどの扉から降りても良いけど、現金の場合は一番前の料金箱のある扉から降りなければならないそうです。
彼女の説明を受けている間、高校生時代の自分を思い出しました。
電車の中できれいな女子高生を見かけても、絶対に話しかけることなんかできなかったシャイな私。
中学時代に片思いしていた女性とばったり電車の中で会っても、下を向いて顔を見ることもできなかった自分を思い出しました。
女子高生に降り方を尋ねる時にはそんな恥じらいなど一切なかった私ですが、目を見ながら一所懸命に私に説明してくれる彼女の澄んだ目を見ている内にそんな昔の自分を思い出してドンドン恥ずかしくなってきました。
私の目的地に着いて彼女に会釈して別れた後も、なぜかノスタルジックな気分が続きました。
駅から実家までは徒歩で15分程。
昔良く歩いた懐かしい道です。
昔あった食堂や駄菓子店、酒屋、電器店はほとんどなくなっていました。
それでも歩きながら昔の思い出が蘇って来て懐かしかった。
炎天下を歩いた私はすっかり疲れてしまって外食に出る気にもなれず、また近くのコンビニでお弁当を買って一人で実家でいただきました。
ギターの教本で復習しながら、ずっと昔のことを思い出しました。
でも、明日は愛犬達にも会いたくなったのでもう一度母の顔を見てから自宅に帰ることにしました。
翌朝、母は私の顔を見るとまた外出したいと言います。
ヘルパーさんに聞くと少し下痢気味だそうだけど、そんなことより外に出たいという気持ちの方が大事だと言います。
母は富山空港を見たいと言いました。
富山空港に着くと、空港とは思えない位ガラガラ。
発着便数もすくないのだから当然です。
それでも母は飛行機が飛び立つところが見たいと言うので屋上の展望台に行きました。
掲示板を見ると既に出発時間を過ぎていましたが、なかなか飛行機は出発しません。
しばらく待っていたけど、あまりにも暑いので戻って空港内のレストランで食事をすることにしました。
ところが、あるのは高級な寿司店と、パスタ店とブラックラーメン店の3店だけ。
母に聞くと、ブラックラーメンが食べたいと言うのでそのお店に入りました。
母は、ラーメンと水餃子を美味しそうに食べてくれました。
空港からの帰り道、母は祖母が亡くなった時の話をしてくれました。
仙台から急いで帰った私を待たずに祖母は既に冷たくなっていました。
祖母の死を病院で知った私が家まで泣きながら走って行った時の声を近所中の人が聞いていたそうです。
その時から既に43年。
人生って長い様で短いものだと思いました。
だけど、母にはまだまだ長生きして欲しいと思います。
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