愛犬を遺棄すれば一生後悔して過ごすことになる
- 2018.01.13 Saturday
- 11:40
ここ1カ月のブログに書いているように可愛いワンコが沢山遺棄されている日本。
また可愛いポメちゃんが捨てられていたことを知った昨夜は、ベッドに入って愛犬たちをナデナデしながらそんな状況に思いを馳せざるを得ませんでした。
この寒空にワンコを遺棄する人は一体どんな人なんだろうと・・・
昨日のブログには、それは薄情で無責任な人なんだろうと書きましたが、貧困の極致でやむを得ず遺棄した人もいるのかなあなどと思いました。
このところ寒い日が続くのであまり外出もできないので家の中で他の人のブログを覗き見していると、ランキング上位にいる人は「貧乏な人」が多い。
一カ月10万円以下で生活している人だと、とてもワンコを飼い続ける余裕などないのかなあと思ってしまいます。
最初から貧乏なら、ワンコを飼うことなんかないだろうけど、失業や離婚、病気等で突然貧乏になってしまう人だっているのですから、そんな人がやむを得ず可愛い愛犬を遺棄してしまうのかなあと。
でも自分は貧乏だと自認する人は、本当に貧乏なのでしょうか。
私が幼少の頃は、私の家だけじゃなく殆どの家が貧乏でした。
両親と祖父が働いていた我が家では、徐々に貧乏生活から抜け出すことが出来てテレビも電話もいち早く買うことができたけど、そんな我が家にテレビを観に来たり、電話を借りにくる人が沢山いたのを覚えています。
そんな我が家でも、私の着ていた服はボロボロだったし、靴はゴム靴。
ようやくできた内風呂も、薪で沸かす小さな木製の風呂桶を庭に設置したもの。
ご飯だって、豚コマを使ったカレーライスとか3つで20円のコロッケが唯一のご馳走で、ステーキやとんかつなんて食べさせてもらった記憶がありません。
遊びと言えば、家の前の溝に入って乾燥した汚泥を道に投げて、それが埃を立ててバラバラになるのが楽しかったくらい。
雪国だったけどスキーなんてすることなんかできず、スコップに座って雪の小山を滑り落ちるのが楽しみだった。
そんな貧乏でも、祖父母と両親のいる家はとっても暖かくて楽しかった。
幼かったから分からなかっただけかもしれないけど、自分の家が貧乏だなんて思ったこと等一度もありませんでした。
今の私は自称「かろうじて中流老人」。
近所のお金持ちの様に、ブランド服や高級時計を身にまとって、高級レストランに行ったり、毎日のおかずを百貨店に買いに行くなんて贅沢はできないけど、小さな中古ビルをリノベーションした店舗兼用の持ち家があるし、Cクラスだけど最新型のベンツに乗っているし、定年後の趣味で時々自分のビルでコンサートも開催できる。
でも、幸せを感じるのは持ち家があることでも、ベンツに乗っていることでもなくて、ミュージシャンを始めとするいろんな人とコミュニケーションできて、そして何よりも目に入れても痛くない可愛い愛犬たちがそばにいること。
かろうじて中流の生活レベルではあるけど、それでも人とのつながり、家族と愛犬たちがいなければきっととんでもなく寂しい老後生活だったと思います。
貧乏を自認し、日々自虐的なブログを書いている人達。
確かに現代社会においては「相対的貧困」かもしれないけど、私の幼少期と比べればはるかに豊かです。
私から見てそんな人達が不幸だと感じるのは、家族を大事にせず、周りの人を妬み、自分を卑下していること。
たとえ経済的に恵まれていなくても、愛さえあれば幸せにはなれるんです。
これまで可愛がってきた愛犬を寒い山中に遺棄するような人が、幸せになれるはずなんてありません。
少なくとも、保護犬ボランティアさんに相談すれば、別の里親さんを見つけてくれるはず。
そうすれば愛犬を遺棄したことを一生後悔しながら残りの人生を送ることは避けられます。
人間もワンコも同じ生き物です。
ワンコは言葉が話せないだけで、感情は人間と同じです。
遺棄されたワンコを保護した保護ママさんのSNSには、沢山の人からコメントが寄せられます。
多くは、
「早く優しい里親さんが見つかると良いね」
というものですが、中には
「捨てた人は地獄に落ちろ」
「今度は自分が世の中から捨てられるだろう」
と怒りをぶつける人もいます。
乱暴なコメントかもしれませんが、ワンコを遺棄した人は多かれ少なかれ不幸になると思います。
「命を捨てた」という罪悪感は、今は表面にでてこなくとも、いつか必ず自分を心の底から悩ますことになります。
そんな人生を送りたくないなら、たとえ経済的に少々貧乏でも、可愛い愛犬を絶対に捨ててはなりません。
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